物事の決定において「直感」はとても大切であると思う

人生とか

私は何か物事を決める際、己の「直感」というものを信じてしまいがちだ。

もちろん、ここで言う「直感」に、全く科学的根拠などというものはない。

言ってしまえば第六感というか、おそらくそんなとこだろう。
そのため、この「直感」に従ったとしても、その決定が正しいかどうかなんて分からない。

もちろん、目の前に現れた2択の中で「明らかにこちらの方が良い」などという選択の場合は別だ。
理屈で「こちらの方が良い選択だ」と言える場合は、直感に頼る必要がないためである。

しかし、それでも信じてしまいたくなることがあるのだ。

私自身の経験で、「直感に逆らって大失敗した」ことがあり、それが尾を引いているのかもしれない。

今回はその話をしてみたい。それは、私の高校受験のときの話である。

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中学3年生、高校受験の話

もう20年近く前の話になる。

私は当時中学生で、いたって普通の公立中学校に通っていた。
そのため、高校に進学するためには、高校受験に合格する必要があった。

当時、私の出身地では、本当のトップ高校を受験する生徒以外は
大半の生徒がいわゆる「公立至上主義」な思想を持っており
「公立高校に行きたい!」と願う中学3年生がマジョリティだったと記憶している。

もちろん私も例に漏れず、「公立高校に行きたい!」と願っていた。

決まっていた志望校2校について

割と早いうちに志望校は決まっていた。

田舎の林に隣接してある緑豊かな公立高校(公立A高校)と
田んぼに囲まれつつも設備の新しい私立高校(私立B高校)の2校だった。

公立A高校を志望した理由は、高望みすぎず簡単すぎない、分相応の学力レベルだったから。

私立B高校を志望した理由は
高校見学に行った際に「何となく自分に合っている」ように感じたからである。

そう、完全に「直観」である。

先生方の話を聞いたり、家に帰って学校案内のパンフレットなどを見ていて

「なんか雰囲気良く思えるなこの高校」
「この高校、自分に合っているのではないか?」

私立B高校は確かに校舎がきれいだった。
しかしこの2校以外にも何校か高校見学に行っており、他にもきれいな校舎を見てきているので
おそらく設備の充実・きれいさだけが理由ではないはずだ。

私は何故だか分からないが、この私立B高校に対して言いようもない魅力を覚えていた。

私立高校入試。B高校に無事に合格

そんなこんなで1月になり、私立高校の受験が始まった。

私立高校は、上記の私立B高校のみ受けた。

公立との併願ではあったが、内申点の評価から推薦を貰えていたので
ほぼ私立B高校の合格は堅かったためである。特に他の私立を受ける必要も見当たらなかった。

B高校の入試当日、同じ中学校の友人と一緒に試験会場へ向かった。
その友人はB高校よりスポーツ推薦が出ており、彼もまた合格はほぼ確実であった。

試験会場に向かう途中にも、その友人と他愛もない話をしながら
「(一緒に向かっている友人は)面白いヤツだし、コイツと同じ高校も悪くないなぁ」
などとよぎった。

私もその友人も、後日すぐにB高校からの合格通知が届いた。

合格通知を貰ったその日の昼休みに、彼とこんな話をしたことを覚えている。

私「無事受かったよ。もし公立のA高校ダメだったらヨロシク」
友「おう、B高校に来るように祈っとくわ(笑)」
私「どういう意味だよ(笑)」

そして始まった公立A高校の入試と、その後

そのとき既に、私の目的は「公立に合格すること」になっていた。

「B高校も良いかも」と思い始めた私はその度に

「ダメだダメだ!B高校のことは忘れろ俺!絶対、公立に合格しなくては!」
と、半ば無理やり忘れようと試みた。

そうして、公立A高校の受験日を迎えた。やるだけはやった!
「この学校、緑が多いし、教室から見える林の景色がいいな」と思ったが
やはり、あの私立B高校のような魅力は感じなかった。

公立の試験も無事に終わり
「まぁ、もしダメだったとしてもB高校があるか」と前向きになれた。

合格発表を待っている中、いきなり親から

「ねえ。あんたさ、あのB高校の方が合ってるんじゃないの?」と言われた。

正直、自分は驚いた。本当にその通りに感じていたためだ。
もしかしたら当時中学生の私は、そのような素振りをしていて見透かされていたのかもしれない。

しかし、それに対し私は強い意志で
「でも金銭的な負担が低いのは公立でしょ。それに俺は公立に合格したいんだ」
と返答した。自分にも言い聞かせるように。

「まぁ、それがウチとしてもありがたいけどね」と親は言った。

結果として、無事に公立A高校に合格し、進学することが決まった。

嬉しかった。家族も喜んでくれた。
一緒にB高校を受けに行った友人も「え~受かっちゃったか~」と言いながらも祝福してくれた。

正直、私立B高校に後ろ髪引かれる思いはあったが
「とりあえず親孝行できるな!」と思い心底ほっとしたのも事実だ。

そしてこの話には続きがあるのだが

私は公立A高校に入学した後、半年後に中退することになった。

「直感」は大切にすべきだと感じた理由

以上が、私が中学3年生のときの高校受験の話である。

私の記憶に強く強く残っている、「直感」に逆行してしまったエピソードだ。

もし本当に私立B高校に入学していたら今より幸せだったのか?

「では私は、その私立B高校に入学していたら今よりも幸せだったのか?」という当然の疑問があるだろう。

「もちろん、そんなことは分からない。」と答えざるを得ない。
実際に経験していないのだから、「たられば」の話である。

それに加え、十数年前の話なので私が自分自身の記憶を大きく脚色している可能性も捨てきれない。

しかし私自身、この手痛い失敗があった後は、「直感」を信じて動くことが増えたように思える。
もちろん人並みに「この直感は信じていいものだろうか?」と吟味する時間は持つ。

明らかに今にも崩れそうな危なすぎる橋を渡ることは避けているつもりだ。

それでも直感を信じて行動すると、自分の中での後悔は少ないように思えるのだ。

未来のことなんて誰にも分からない。だからこそ「好き」という感情を大切に

人生には、様々な選択の瞬間がある。
そこには「今日のランチは中華料理にするか?蕎麦にするか?」という些細な選択から
時に、今後の人生を変えてしまうような選択まである。

そして今のところ人間は、確実に未来を予知することができない。

つまり、未来のことは誰にも分からないのだ。

社会全体の未来の予測を立てられる社会科学の研究者であっても
一個人の未来などは分かるはずがないだろう。

よって私は、「好きだな」「良いな」と率直に受け取った己自身の感情に従うことが
到底、悪いことだとは思えないのだ。

「好きだな」「良いな」と思った方を素直に選んでいれば、失敗したとしても
「間違っていたか。仕方ないな」と受け止めやすいと思うのだ。

「好きだな」「良いな」と思った方を選ばず、無理に違う選択をした結果した上で
それが間違っていたら、きっとその方が後悔が大きい。

繰り返しになるが、私だって「何から何まで全て直感に従う!」とまでは言うつもりはない。
しかし、できるだけ自分の「直感」というものを尊重して、生きていきたいと考えている。

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